生態系から観た、里山の手入れ 谷戸の湿地 その1(2017年3月・会報78号)

谷戸には湿地がたくさんあり、アシやオギが生えています。田んぼが放棄されて湿地になってしまったのです。“昔の里山”から見れば荒地ですが、今の谷戸のように“都市型の里山”にとっては貴重な場所です。生態系保全から見た湿地の意義を数回にわたって紹介します。

●谷戸の湿地はなぜ大切か?

1. 鎌倉では湿地が希少
 現在、鎌倉には田んぼがほとんどありませんが、田んぼをやめて湿地になった場所もあまり残っていません。湿地の環境があるのは、谷戸や台峰、広町緑地くらいです。古都保存法で守られている旧鎌倉地区には湿地がないのです。30年前、谷戸や台峰、広町緑地の保全活動をしたのは、湿地の存在が注目されたのも一因です。
2. 湿地は“谷戸”の自然には欠かせない
 鎌倉の里山は“谷戸”です。山の林だけでなく谷底に田畑(現在は湿地が多い)や水路が混在し、狭い範囲にさまざまな環境がある箱庭のような景観です。県内でも貴重な自然です。
3. 湿地特有の生きもの
 田んぼだけでは暮らせない、アシ原やオギ原特有の生きものがいます。カヤネズミをはじめ、昆虫ではヒメギス、キンヒバリなどがいます。クイナ、オオヨシキリなどアシ原やオギ原にしがみついて暮らす野鳥もいます。
4. 湿地は生き物の隠れ場所
 昔の里山が公開された緑地になると人の出入りが増えるので、生きものの隠れ場所が必要になります。里山の周囲が市街地で囲まれている“都市型の里山”では、田んぼだけでなく、田と湿地が混在している方が生きものの安住に役立ちます。
5. カヤ場の面影が残る 50年ほど前まで鎌倉の里山には、尾根や斜面にススキの草原(カヤ場)がたくさんありましたが、今ではほとんど残されていません。谷戸の湿地のオギ原は、ススキの草原と似た環境が残る貴重な場所となっています。

生態系から観た、里山の手入れ 谷戸の田んぼ その5(2017年1月・会報77号)

●冬の田んぼと野鳥

 冬の田んぼで目立つのは野鳥でしょう。田んぼと広場の間にアシ原を残してあるので、広場から田んぼが直接見えません。そのため、鳥が安心して田んぼを利用できるようになっています。白いサギ(コサギ)が田んぼでザリガニなどを採っているのをよく見かけます。冬の間も水がある田んぼは、トンボの幼虫などが多く、野鳥も集まることから「冬水田んぼ」という名前で重視されるようになりました。県内でも海老名市などで生きものの保全を目的とした「冬水田んぼ」が作られるようになり成果を上げているようです。
 また畔に生えている草の実を、ホオジロやアオジなどの小鳥が食べに来たり、ハシボソガラス(街中よりも田畑に多いカラス)やハクセキレイが畔でクモ類などの小動物を探しています。夕方になると田んぼにカモが飛んできます。稲の切り株に再生した二番穂を食べにくるのでしょう。北陸などでもハクチョウやカモが夜の田んぼで餌を採っているそうで、稲の二番穂が野鳥の越冬に役立っているそうです。

●田んぼは谷戸の中心

 田んぼで生まれたオタマジャクシが広場の水路に流されて、子どもたちの遊び相手になったり、シオカラトンボやイナゴも田んぼで生まれています。田んぼで暮らすクサガメが畑で産卵したり、水路で生活しているホトケドジョウの稚魚が田んぼで大量に育ったり、田んぼの生きものが谷戸の中を往来しているのがうかがえます。意外なのは、田んぼで見かけるギンヤンマや真っ赤なショウジョウトンボは、住宅地の池で育って田んぼにやってくるようなのです。田んぼを中心に、公園のみならず住宅地まで巻き込んで、地域の生態系のネットワークができているのです。住宅地に囲まれた「谷戸の田んぼ」ならではの面白さではないでしょうか。

●田んぼの生きものの変化

 振り返れば、約30年前に地主さんの田んぼをお手伝いさせていただいたことが、当会の基礎になっています。時、場所、人、すべてに恵まれたと思います。その頃、里山の自然が評価されるようになり、自然保護の考え方が大きく変化しました。環境や教育の視点から田んぼに市民が来るようになりました。昔ながらの農法を継承した結果、ほとんどの生きものは健在ですが、いくつかは消えていきました。原因は不明です。20年ほど前に「ししいし」周辺の田んぼが埋め立てられたり、休耕地となったとき、タイコウチ(水生昆虫の一種)などの生きものが姿を消したのを覚えています。
田んぼのネットワークの一角を失ったことが影響しているのでしょう。その他、田んぼ周辺の湧水量が減ったことも一因かもしれません。

●周辺の手入れが田んぼを守る

 田んぼ、あるいはそれに似た環境を、周辺に増やすことができれば理想です。湿地を放任せずに手入れして、水がたまるようにしたり、畑や斜面林、水路の手入れも大切です。幸い、当会にはさまざまな活動(7つの班)があり連携しています。各班の活動が、間接的に田んぼの生きものを支えることにつながっているのです。「一石二鳥」のことわざ以上に、谷戸の活動は大きな可能性を秘めています。田んぼを中心とした命の流れが途絶えないよう、2017年も楽しく進んでいきましょう。

生態系から観た、里山の手入れ 谷戸の田んぼ その4(2016年11月・会報76号)

●里山の生きものたちの「かけこみ寺」

 半世紀前は谷戸全体が田んぼでしたが、当会でお世話している田んぼが、最後となってしまいました。生きものたちにとっては、この田んぼが「かけこみ寺」になっている感じがします。この面積の田んぼで守れるものと守れないものがあると思いますが、30年近く見てきて、小さな生きものたちはかなり守られていると思います。

●稲刈りで出会う生きもの

 稲刈りをしていると、意外に多くの生きものが稲にくっついているのに気がつきます。田んぼが多くの生きものの棲家である証拠です。メイガのマユや幼虫、イナゴ、チョウセンカマキリ、ナガコガネグモ、昔はカヤネズミの巣もよく見つかりました。稲の害虫として知られるメイガのマユは、年によって多い少ないがあるようですが、谷戸の田んぼでは大きな被害になったことはありません。天敵のカマキリやクモが活躍しているからでしょうか。谷戸には5種類のカマキリがいますが、田んぼにいるのはチョウセンカマキリばかりのようです。周辺の草むらにはオオカマキリが多く、はっきり棲み分けているのに気が付いたときは驚きました。チョウセンカマキリはオオカマキリより細身なので、稲の葉に紛れるのに適しているのでしょう。「もしかして稲作と一緒に渡来した昆虫なのかも」と想像しています。イナゴ(コバネイナゴ)がたくさんいる場所は、今の鎌倉では数カ所になってしまいました。その中でも一番多いのはこの谷戸でしょう。イナゴは稲がないと生活しにくい昆虫のようなのです。ナガコガネグモは大型で縞模様があるクモで、田んぼに網を張りシオカラトンボを捕まえています。林の近くではなぜか全く見つかりません。田んぼと周辺の草地を主な棲家にしているようです。カヤネズミは、県内で絶滅危惧種に指定されている日本最小のネズミで、市内では谷戸(鎌倉中央公園と台峯)の周辺が最後の生息地かもしれません。田んぼではあまり見かけなくなりましたが、周辺のオギ原ではまだ少数が見つかります。谷戸の田んぼに生きものが多いのは、無農薬という理由だけでなく、周囲に豊かな自然があるためでしょう。そして昔から棲みついている生きものが今年も受け継がれていると思うとほっとするのです。

●稲刈りの終わった田んぼで

 山で夏を過ごした赤トンボ(アキアカネ)たちが、谷戸に戻って来るのは9月のお彼岸のころです。最初は谷戸の上空高くに群れがやって来て、田んぼ周辺の柵などに止まって産卵のチャンスを待っています。稲刈りが終わると、田んぼの水たまりで一斉に産卵が始まります。トンボは水面の反射で水があることを知り産卵するので、稲刈りが終わらないと産卵しにくいのでしょう。また、シオカラトンボは湿地の小さな水たまりでは産卵せず、広々と開けた田んぼがお好みのようです。また池ではあまり産卵しないようですし、池では幼虫が育ちにくいのです。一般的な田んぼでは稲刈りになると水を抜くので、乾いた田んぼでは産卵できません。谷戸の田んぼのように、一年中、水がある田んぼなら、稲刈り後も産卵しやすいのでしょう。

生態系から観た、里山の手入れ 谷戸の田んぼ その3(2016年9月・会報75号)

●谷戸の田んぼはなぜ大切か?

 元の耕作者から途切れることなく、田んぼを継続できたこと
 谷戸の田んぼと里山は、数百年以上の歴史を経て作られてきた宝物ですが、わずか数年で、生きものが絶えてしまうこともあります。田んぼをやめると、数年でアシが生え、水が溜まらなくなり、カエルなどが産卵できなくなります。カエルの寿命は数年なので、絶滅してしまう場合もあります。鎌倉や藤沢のように谷戸の周辺で田んぼがない場所では、実際にそのような事例がおきています。畑でも同じことが言え、耕作をやめて草が茂り放題になると、畑に棲んでいたコオロギ類は、数年で絶滅してしまいます。田畑の環境がないと、緑地そのものは保全できても、里山の生きものが姿を消してしまうのです。市内でもそのような事例が見受けられます。昔なら周辺から新たに里山生物が移住してくることも期待できたのですが、現代のように、住宅地に囲まれ分断された谷戸(里山)ではそれが不可能に近いのです。荒廃した里山を復活という話はよくありますが、元の地主さんから途切れることなく田んぼや畑を継続できたことが、当会の大きな特徴であり、良さではないでしょうか。

●田の草取りと田んぼ雑草

 6月~8月上旬にかけて、田んぼの草取りを2~3回行います。最も苦しい作業の一つですが、除草剤を使わない手作業が、田んぼの貴重な植物を保全することにつながっています。前回紹介したミズオオバコ以外にも、アシカキという田んぼで最も嫌われている雑草が、今や県内ではミズオオバコ以上に珍しい植物だそうです。「アシカキ」とはその名の通り、足を引っかくという意味でしょう。田の草取りをした人なら誰でも悩まされたことがある、トゲがついたイネ科の植物です。畔のふちから生えてきてツルのように田んぼに侵入してきて、アシに絡みついてくる厄介な雑草ですが、これが貴重種だとは本当に驚きました。谷戸の田んぼに生える雑草は、平地の田んぼに生えない貴重な種類があるので、除草剤に頼らず、草取りを手作業で行う価値があるということです。

●畔の草刈りと生きもの

 田んぼでは年に4回くらいは畔の草刈りを行います。畔は足首くらいの低い草地に保たれています。放任状態ではこのような環境はできません。人間が里山で作り出した、新たな自然環境と言えるでしょう。同じような低い草地に土手があります。しかし、畔は湿った場所なので、畔と土手では生えている植物の種類が大きく異なります。例えば、テンツキという小さなカヤツリグサ科の小さな草が、畔のふちに密生していますが、田んぼ以外では見たことがありません。コオロギやバッタ類などの昆虫も、畔の周辺にしか見られない、タンボコオロギやイナゴなどがいます。また意外かもしれませんが、草刈りで草丈を短く保つことで、バッタやコオロギの数や種類がとても増えるということが、調査の結果わかってきました。田んぼの畔という環境は、他にはないとても大切な環境なのです。畔の草刈りと田んぼの草取りは、谷戸の生きものを受け継いでいくための、欠かせない作業なのです。

生態系から観た、里山の手入れ 谷戸の田んぼ その2(2016年7月・会報74号)

③平野ではなく、林に囲まれた(谷戸)田んぼは生きものが豊か

 畑の場合と同じく、田んぼが畑や雑木林に隣接していることで、生きものにとって相乗効果があります。カエル、トンボなど多くの生きものが田んぼで生まれ育ち、親になると雑木林や畑の環境を利用します。

④区画により生きものが違う

 複雑な畔で区切られた不定型な田んぼが、谷戸らしい曲線美の田んぼ景観を作っています。機械で四角形に整地された田んぼにはない、心安らぐ風景です。昔の人が、地形に合わせて、水が均一に入るように田んぼを作った結果です。田んぼの区画によって水源が違うため、それぞれ異なる豊かな生態系ができています。例えば「山田」と呼ばれる区画は、水路からの取水口があるので、ホトケドジョウのような水路の生きものがやってきます。「大田」は冬に乾きやすいため、赤とんぼ(アキアカネ)の幼虫が多く生息します。
 「仲通」は乾きにくいためか、ミズオオバコなど貴重種(田んぼの雑草ですが)が生えます。「深田」は山よりにあり、山の絞り水だけで潤されている田んぼです。水路の影響を受けないので、オタマジャクシが流されることなく生き残り、生きものが多い区画です。谷戸の田んぼの複雑な自然環境は、機械化で整備された田んぼや「トンボ」池のような人工的なビオトープで再現することは難しいでしょう。手作業で昔ながらの田んぼを継承することに、計り知れない意義があるのです。

●田植えと生きもの

①稲株の効果

 梅雨時、やっと田植えまで終わらせて、ほっとした気分で苗が生長していくのを見守る季節です。夜の自然観察ではアマガエルの合唱が賑やかですが、産卵は稲の苗と関係しています。アマガエルは泡のように小さな卵を水中に産みますが、とても小さな卵塊(見つけるのは非常に困難です)なので、何かに付着させて産む必要があるようです。その際、植えられたばかりの稲株が絶好の産卵場所になるようです。今年はアマガエルの産卵が少ないようですが、注意深く探すと、ゴマ粒のように黒くて小さい、オタマジャクシが無数に田んぼを漂っている姿が見られるかもしれません。
 誰でも見つけやすいのが、トンボのヤゴが羽化(成虫になること)した跡でしょう。まるでセミ殻のように、稲株にヤゴの羽化殻が残っています。シオカラトンボの仲間(オオシオカラトンボ、シオカラトンボ)と、赤トンボ(アキアカネ)の羽化殻が多く見られます。羽化殻に泥がついていて眼が小さければシオカラトンボの仲間、泥が付いてなく眼が大きければ赤トンボ(アキアカネ)です。ヤゴがトンボになるためには、何かにつかまって脱皮しなければなりません。その際、稲株がとても役立っていると思われます。また、貝の仲間、ヒメモノアラガイやサカマキガイが稲株に群がっているのも見かけます。何のためかはわかりませんが、稲株に付着したものを食べているのかもしれません。あまり知られていないようですが、この他にも、稲株が生きもののために役立っていることがたくさんありそうです。

生態系から観た、里山の手入れ 谷戸の田んぼ その1(2016年5月・会報73号)

 生きものから見た谷戸の田んぼの特徴を、これから数回にわたって紹介します。並行して、季節の田んぼ作業と生きものの関わりについて考えてみます。

①谷戸の田んぼはなぜ大切か?

【鎌倉には田んぼが残り少ない】
 鎌倉は樹木が多いので自然が豊かと誤解されますが、水辺の環境が貧弱です。池で遊べるような場所はなく、川はコンクリートの護岸に固められ下りることもできず、昔遊んだ田んぼもすっかりなくなり、小さな田んぼが10か所以下しか残っていません。
【田んぼがないと棲めない生きものがたくさんいる】
 田んぼといえばカエルやトンボを思い出しますが、それを餌にするヘビなど、多くの生きものが田んぼとその周辺に棲んでいます。バッタやコオロギなど田んぼに依存している昆虫も多いようです。また、田んぼにしか生えない雑草も多くあります。

②田うないと生きもの

【田んぼの泥】
 田んぼに入ってみると、意外に泥が臭くないのに気づきます。田んぼの泥はヘドロではないからです。田うないをしながら、泥を観察すると、表面の灰色の泥の下に真っ黒い泥があるのが分かります。これがヘドロになりかけの泥です。 “まんのう “で起こして空気に触れることで、ヘドロにならずにすんでいます。20年ほど前になりますが、野鳥の会の人たちと、開園前の鎌倉中央公園でビオトープ(人工的に作った水の生物の棲家)を作りました。田んぼのように浅くした池で、最初のうちはたくさんのトンボが育ったのですが、3年ほどで底がヘドロ化して水質が悪くなり、生きものが絶えてしまいました。それなりに管理をして、ヘドロの対策をしましたが、思うようにいきませんでした。今から思えば、田んぼの農作業こそ、最適なビオトープの管理方法なのでしょう。谷戸の田んぼで生物調査をしていると、田うないをしたあと、急に生きものが増えるように感じます。田んぼの泥をかき混ぜることで、土壌の養分が溶け出し、ミジンコなどの微生物が増えるのかもしれません。田うないが始まる連休のころは、ドジョウやオタマジャクシ、水生昆虫など、水の生物の活動が盛んになるので、これらの生育を助けることになるのでしょう。

【〈うつけと生きもの】
 くろつけの前には畔切りをします。畔の一部を壊して、新しく泥を塗り重ね、作り直すことで、田んぼの水漏れを防ぎます。畔を切ってみると、無数の穴が開いており、さまざまな虫が出てきて驚きます。いかに多くの生きものが畔を利用しているのか分かります。畔の土の中に泡のような卵塊を産むシュレーゲルアオガエルは、平野の田んぼでは見られない、谷戸田ならではのカエルです。農家の田んぼでは、畔をコンクリートで固めていますし、体験田と称される公園の中の田んぼでも、畔を板で囲い補強して、畔つけの手間を省いている場所があります。田んぼの生きものにとっては、畔を土のまま残すことが大切なのに残念です。くろつけや畔の草刈りなど、昔ながらの手間のかかる作業が里山の生きものを守っているのです。